Lemond TDF86

このブログを再開する前に、まずは今の機材的な情報を。

前バイクから遂に、念願のフランス製タイムに乗ることができた。自分にとっては非常に幸運なことであり、一つの終着点となる。

写真

メインとなるコンポーネントは、以前のブログでも酷評していたカンパの電動、SUPER RECORD EPS、ホイールはワイドリムの35mmボーラ、サドルは変わらずアリアンテのVSだが、表皮の変わった最新モデルを採用。

ペダルは既に廃盤となったMAVICロゴのXPRESSO15、こちらは中空のチタンシャフトにセラミックスピードのベアリングが入っているが、脱着激しい左側のみベアリングが既に損傷を受けている。

ハンドルステムに関しても、非常に迷ったところだが、どうしてもカーボン柄のカーボン製ハンドルが欲しく、これまた廃盤のCampionissimoと、同デダ製のSuperleggeroをチョイス。

ボトルケージも変わらずアランデル、タイヤは新型CORSAといった具合だ。

 

チェーンやステム、タイヤ以外の部分がほぼカーボンという、一昔前で言えばまさにスーパーバイクだが、走りの方は至って普通で乗りやすく、そして何よりも耐久性を考慮して選んだ。

というのも、現時点での目標は、東京までの500km弱を24時間で走りきるというアレで、レースではないからだ。自分との戦いを制するためには、何よりも妥協は許されず、それはバイクにも自身の肉体、そして精神もである。

奇をてらったような昨今のエアロロードや、専用部品で固められた自転車とは一線を画す一台であり、唯一無二の存在を目指すというのをコンセプトにした、そんな一台にしたつもりだ。

 

既に半年ほど跨っているが、何一つ不満がないと言えば嘘になる。だが、己のフィジカルだって、100%である部分は何一つない。そういった意味でも、バイクのコンディションと、乗り手のコンディションをリンクさせてみた次第。

ご覧の状態で6.7kgと、超軽量ではないにしろ、今やクライマーのクの字もない自分にとっては、これ以上ないと思っている。最高に贅沢なバイクなのだ。

朝イチ after ゾン寝

書きたいことがあまりに多く、まだ頭が整理し切れていない。

物書きのリハビリということで、まずはサイクリングの日誌から。

 

午前4時起床。不摂生による昼夜逆転から立ち直った週末は、ジジイ並の早起きから始まった。日課にしている自転車操業のメールチェックから始め、オークション取引後のフォロー、お茶を飲みながらの皮算用。

ここ数回、朝イチには2度も遅刻し、置いてけぼりを食らっているので、10分前には出発。左脚が痺れるという謎の病気が再発しないかどうか、慎重にペダルを回しながら集合場所へ着くと、今日は大盛況の賑わい。

まったく、ここの連中は朝も早よからどうしてこんなにアグレッシブなんだろう?このエネルギーを、もう少し世のため人のために分配すれば、世界はもっと平和になると思う。

 

グダグダしているうちに出発。どうやら今日も序盤からペースが速いらしい。意外と身近なところに、住宅街向けの移動式ネズミ捕りが必要なようだった。先頭を走る人は既に虫の息であることは間違いない。

清掃局手前の緩斜面から、既にヒートアップ。レースばりの横4列で交差点を右折したら、軽いアタック合戦が始まる。見事に取り残された自分は、必死のパッチで後続に食らいつくが、どうも例の病気が肝心な時に顔を出してきたようだ。

心拍数のレッドゾーンを遥か彼方に見据えて、集団から分離。下りで回復を試みるも、ここ最近の調査結果によると、序盤で症状が出た場合、復帰はほぼ困難であるという。無念だ。

踏切を超えたら、中切れへのカウントダウンが始まる。が、さすがにそこはプライドが許さないので、形だけでも前へ出てからおもむろに、何事もなかったようにフェードアウト。峠のピークまでは、介護列車に連結させてもらい、何とか辿り着いた。

 

会場に着いたら、いつもより長めの談笑。話題はカーボンのホイールと、ヘルメットの安全性について。自分はかれこれ、カーボンのホイールを常用し出して数年になるが、最近はそういう人が非常に増えた。ヘルメットに関しても、ここ数年で安全性の高いものが多く出回り、それが徐々に市民権を得始めているように感じる。

いつも通り、一人で湖岸沿いを流して、帰って昼寝でもと思っていたところに、アフターでゾンネまでどう?とのお誘いを。所持金500円だったので断ったのだが、そんなこと気にするなと男前な返事を受けてしまった手前、行かざるを得なくなってしまった(笑)

 

国道を暴走気味に引き返し、川端〜五条通りを走ったことないような速度で走行。追い抜いていく車との相対速度が低いと、やはり緊張してしまう。平静を装いつつなんとか沓掛に辿り着いた頃にはヘロヘロだった。

ここからゾンネまではもう少しペースを抑えてくれるという話だったので、安心してリスタートを試みるも、爆風向かい風の中ではそんなルールは無用とばかりに鬼のような高速巡航。みるみる脚は削られていき、日吉ダム手前でとうとう前に出られなくなってしまう。帰りは途中離脱させてもらうつもりで、そのまま何とか着き位置で胡麻へ辿り着いた。

 

休憩中、見知った顔の方が現れたので、一緒に談笑。色んな話に花が咲いたあと、来た道を戻ることになって、その方も引き連れて今度は追い風の中を爆走。自分の3倍くらい強い人が3人も連結すると、目眩がするような超高速域に一瞬で到達する。

転けたら終わり、と念じながら必死で食らいつくが、亀岡に戻って来た頃には瀕死の状態で、堪らず捨てて行ってコールを発動するも、妙な親切心の持ち主達はそれを許してくれない。

こういう時、実はほかしてもらう方が何倍も気は楽で、捨てる勇気・捨てられる勇気だったりするのだが、それを説明するのもナンセンスということで、結局最後まで帯同させてもらう。

 

結局、2時間ほど走って、日曜日の午後を無駄に過ごすはずが、かなりタフな錬となってしまった。2日前にも100km以上の1ストップ練をこなしているので、このペースでいくと月間1500km走行になってしまう。

4〜5月にかけて、自分比かなり失速してしまった分をここで巻き返したいが、焦りは禁物ということで精進していきたいところ。まずは、左脚の病を払拭するところからだ。

 

走行130、阿部31